大河ドラマ『真田丸』ゆかりの地を巡りました。大阪の陣の激戦の地となった「茶臼山」について紹介します。
真田丸跡~大坂城を巡った後は茶臼山へ向かいます。
茶臼山の最寄駅は天王寺駅で、天王寺公園の中にあります。天王寺動物園が近いせいか、家族連れの姿も見えました。
茶臼山は大阪の陣の激戦の地!あの名将が布陣
茶臼山は「茶臼山古墳」という大阪府指定史跡の前方後円墳です。誰が葬られているかはわかっていません。
「山」というほどの高さはなく、木がこんもりとした小高い丘のような場所です。一見するとなんでもない場所ですが、この場所は歴史上、非常に有名な出来事の舞台になりました。
「大坂の陣」です。
茶臼山は大阪冬の陣で徳川家康が、大阪夏の陣で真田信繁(幸村)が本陣を置いた地だと伝わります。「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の激戦の地です。
冬の陣ではこの場所から徳川家康が大坂城に向って戦いを挑み、夏の陣ではその逆、大坂城を背に、真田信繁が徳川家康に最後の戦いを挑みました。
400年前。この場所に、家康と信繁が確かにいたのです。そう思うと、身震いするような感慨深さを感じました。
現在の茶臼山の風景
こんな風に、石碑が建っています。
「冬の陣 徳川家康本陣跡」
「夏の陣 真田幸村本陣跡」
石碑にはこのように文字が刻まれています。
大坂の夏の陣で栄華を誇った豊臣家は滅亡し、世の中は完全に徳川の世となります。長く続いてきた戦国時代の終焉でした。
▼現在の茶臼山の風景はこんな感じです。
今は何もありません。木が鬱蒼と茂っており、陽もあまり差し込みません。そのせいでしょうか。どこか物寂しい雰囲気が漂い、心なしか気温も低く感じます。
信繁は何を思って、この場所に立ったのでしょう?
故郷の上田が頭に浮かんだかもしれません。敵味方に別れてしまった兄や九度山で無念の死を迎えた父を思い出したに違いありません。
様々な思いを巡らせた後、この場所から、真田信繁は最後の戦いに出陣しました。信繁は死を覚悟しながらも、最後まで諦めませんでした。次々と見方が失われていく圧倒的な不利な戦況の中で、ただ一人徳川家康を目指して駆けました。「武田の赤備え」と呼ばれる真っ赤な鎧を身にまとって。
大河ドラマ『真田丸』の影響でしょうか。六文銭ののぼりが立てられており、写真撮影をする観光客の姿もちらほらと見られました。
私がこの場所を訪れたのは2016年9月なので、それほど観光客は多くなかったのですが、ドラマがクライマックスに差しかかる頃はきっともっと多くの観光客でにぎわうことになるのでしょうね。
この近くに、戦で傷ついた信繁が最期を迎えたと言われる「安居神社」があります。次は「安居神社」に向かいます。
茶臼山へのアクセス
次は堀越神社へ向かいます。一生に一度だけ、願いを聞いてくれる神様。えー一度と言わずに何度でも聞いてほしい!なんて、わがまま言ってはなりません(笑)
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