大河ドラマ「真田丸」に縁の深い土地を巡りました。真田幸村(信繁)が最後を迎えたと伝わる「安居神社」の訪問レポです。
「一生のうちに1つだけ願いを叶えてくれる神様」堀越神社を跡にして、次の目的地「安居神社」に向かいます。
https://www.sukinamonotachi.com/entry/horigoejinja
茶臼山から少し北に歩くと、真田幸村の最期の地と言われる安居神社があります。安居神社は住宅街の中にある小さな神社です。
人気旅行予約サイト「じゃらん」のおすすめクーポン・キャンペーン情報をまとめています▼
[toc]
大坂夏の陣にて幸村(信繁)が討死
真田幸村(信繁)は1615年、大阪夏の陣で討死します。
大坂夏の陣は徳川幕府軍と豊臣家が激突した戦で、この戦に負けて豊臣家は滅亡しました。
夏の陣に先立って戦われた大坂冬の陣で豊臣方と徳川方はいったんは和議を結びます。しかし、冬の陣のあと大坂城の堀は埋め立てられ、真田丸は破却されてしまいます。大坂城はもはや裸城同然…。
大坂城は巨大な城ですが、堀を埋め立てられた状態では籠城をすることもできない…。戦況は圧倒的に徳川有利。豊臣家の勝ち目はないと言った状況でした。
ここで幸村は最後の賭けに出ることになります。
茶臼山に布陣した幸村は約3,500の兵を率いて、徳川家康、ただその一人を目がけて突進したのです。激闘を繰り広げながら、大軍の徳川軍に猛然と切り込んでいったと伝わっています。徳川軍は大混乱で、家康も一時期は死を覚悟したそうです。
この最後の突撃は幸村にとって「華々しく散るための行動」というよりは、「最後まで勝つことを諦めずにわずかな可能性に掛けた行動」だったのかもしれません。戦に勝つためにはどうしたらいいか、考え抜いた末の策だったに違いありません。
大河ドラマ『真田丸』の最終回で、信繁が自害した場所がここです。
安居神社
茶臼山から15分程度、北の方に歩いたところに安居神社がありました。
「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた一人の武将がその生涯を終えた場所です。
幸村は激しい戦闘で傷を負い、この神社の境内にある松の木にもたれかかって休んでいたところを、敵の兵に見つかります。敵兵に名を名乗ると、この首を手柄にするようにと自らの首を差し出したとも、伝わります。潔いですね。
しかし。
し、閉まっていました…(ノ◇≦。) ビェーン!!
もしかしたら…と気にはなっていたのですが、安居神社に私が到着したのは16:30頃。
開門時間は朝7時から午後16:00まででした。少し遅かったですね。・゚(゚`Д)゙
そういうわけで、私は神社内には入ることができなかったのですが、神社の境内には傷ついた幸村が寄りかかるようにして休んでいたと伝わる松の木や石碑が建っています。
あー、観たかったです!!
他の場所を観光していたら16時は案外早く来てしまいますので、時間にはご注意くださいね。小さな神社ですので安居神社見学の所要時間は、20分ほど見ておけば十分だと思います。
碑がありました。
安居神社の開門時間・御祭神・アクセスなど基本情報
- 開門時間:7時~16時
- 御祭神:少彦名神(すくなびこな)、菅原道眞公
最寄駅:一番近いのは、大阪市営地下鉄の四天王寺夕陽丘駅ですが、天王寺駅で下車して、茶臼山を回ってから行っても問題ありません。駐車場はないので、近くのコインパーキングを利用する必要があります。
こんなのも、見つけました。かなりイケメン(笑)
次は玉造商店街でひと休みしたカフェをご紹介します。
https://www.sukinamonotachi.com/entry/cafe_a-september/
コメント